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林正英
 
 本名:林根寶(ラム・キンポー)  漢字表記名:林正英
 カタカナ表記名:ラム・チェンイン  英語表記名:Lam Ching Ying
 生年月日:1952年12月27日  出身地:香港(籍貫:上海市)

      7人兄弟の3番目。春秋戯劇學校出身。17歳で映画のスタントマンとして映画界に入る。
      73年「燃えよドラゴン(龍争虎鬥)」の武術指導助手を務め、その後サモ・ハン・キンポー率いるスタントチーム(洪家班)の
      主力メンバーとして数々の作品に携わる。82年「ユン・ピョウINドラ息子カンフー(敗家仔)」で俳優としてデビュー。
      同年「霊幻師弟 人嚇人(人嚇人)」では、初の道士役を演じる。85年「霊幻道士(僵屍先生)」が大ヒット。以降、
      「道士役=林正英」のイメージが定着する。89年「霊幻道士5 ベビーキョンシー対空飛ぶドラキュラ!(一眉道人)」では、
      初の監督を務める。95年「僵屍道長(TVドラマ)」に出演。この作品がきっかけで共演者であったユン・キンタンと交際する事となる。
      96年「僵屍道長2」にも出演。前作以上の好評を得る。しかし97年11月8日に肝臓癌の為、44歳の若さで急逝。
      「僵屍道長」撮影時から体調が優れず、「僵屍道長2」撮影前に渡米して治療したが回復しなかった。治療中、彼は自分の病の
      事を親族以外には知らせなかったという。親しいサモ・ハンや京劇時代の友人も、マスコミで報道されるまで病気の事を知らなかった。
      迷惑をかけないようにと自分から交際相手のユン・キンタンに別れを告げ、死の直前にはやつれた自分の姿を見せたくないと、
      友人はおろか二人の子供の面会も拒んだという。お酒と映画を愛し、私生活では離婚後、二人の子供を男手一つで育ていた。
      武術(詠春拳・截拳道)の達人でもあった林正英は、キョンシー映画界・香港映画界を余りに早いスピードで去っていってしまった…。


      ラムさんを初めて知ったのは、日本でも大ブームとなったキョンシー映画の「霊幻道士」でした。
      その軽やかな身のこなしとアクションに目をひきつけられ、それからと言うもの、霊幻道士シリーズに夢中になる。
      そんなラムさん演じる道士様は、頼りになる、弟子には厳しい(威厳がある)、でも茶目っ気たったぷりな道士様♪
      凛々しく渋いお顔もしびれるくらいに素敵でvvv とは言っても当時ラムさんは29歳。昔からフケ役はハマっていたようですね(笑)
      あまりのカッコ良さに、わたくし、本気で香港に行こうと思ってました。「絶対にラムさんと結婚するんだ〜!」とも(爆)(^^;
      まぁ、当時は私も小学生だったので…その辺は大目に見てやって下さいませ、ファンのみなさま(苦笑)
      でも、香港に行くと言う夢はあきらめてはいなくて、片言ですが広東語を勉強してました。
      ラムさんが肝臓癌で亡くなったことを知ったのが97年の11月。たまたま立ち読みしていた雑誌に「林正英死去」の文字が…。
      ショックでショックで、動揺するどころかその場にしばらく立ち尽くしてしまった。
      「まさか…嘘だよね?」その言葉しか出てこなかった。44歳…いくらなんでも若すぎる。
      もう二度と彼が活躍している姿を見れないんだと思ったら愕然とした…。そんな時に見つけた作品「霊幻道士」TVドラマシリーズ。
      実はひそかにTV版としての霊幻道士を撮影していたみたいなのだ。撮影が96年となってると言うことは、これを撮影して
      いる頃は既に病魔に侵されていたんだなと思うと、複雑な気持ちで見てました。
      久しぶりに見る道士様は、あのときと同じ…勇敢で正義力があって、でも茶目っ気たっぷり。
      いまだに彼が亡くなったなんて信じられないくらい…。こんないい俳優はもう現れないんだろうな…。
      ラムさん、あなたがまだ生きていたら、今後もキョンシーシリーズをもっとたくさん見られたことでしょう…。
      叶うかどうかの可能性は別として、一度でいいから香港に行ってあなたに会って直接思いを伝えたい。そう決意していました。
      それなのに、あなたはこんなにも早く逝ってしまわれたのですね…。ラムさん、天国からファンの声を聞いて下さい。
      ご冥福をお祈りします…あなたはいつまでも私たちの心の中で生き続けています!


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